プロレス用語の基礎知識・「た」行


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[タイガーキング] (人名・フリー/1957年11月27日山口県/171cm/100kg)

佐山聡が94年に新日本に復帰したときのリングネーム。UWFを経験したせいもあってか空中殺法のみならず格闘系の技術も。 ただライガーとのエキシビジョンマッチで蹴りがガードされまくっていたのは…。(汗)

[タイガー・ジェット・シン] (人名・引退済み/1944年8月12日インド/190cm/120kg)

サーベルを咥えて入場するなど、当時、かなりのインパクトのあった往年の悪役レスラー。しかし、客にまで手を出すあたり、はた迷惑なレスラーだった。(苦笑)

[タイガースープレックス] (技名)

初代タイガーマスクの開発した技。背後から相手の両腕をかんぬきにきめて後方にブリッジを描いて投げる技。 実は3代目の金本から腕のロックの仕方が微妙に違う。

[タイガースマスク] (人名・大阪/1976年6月1日/175cm/79kg)

名前のとおりタイガースをモチーフにしたレスラー。体のばねはよいのだがタイガースの呪いかデビューから連敗を重ね、とうとう121連敗という記録を作るも02年5月26日に念願の初勝利。 異常に腰が低く、初勝利の後日のインタビューで「僕が勝ってよいのかなって思いました。」と答えた。(笑)

[タイガードライバー] (技名)

元二代目タイガーの三沢の必殺技。ダブルアームの形で持ち上げ、自らの体重と共に前方に落とす技。より急角度で相手を脳天から落とすタイガードライバー'91も存在。

[タイガー服部] (人名・新日本/1945年7月20日/東京都)

新日本のメインレフェリー。しかし、お世辞にもレフェリングが上手いとは言えないぞっ!(TT)2001年4月4日の健介VS橋本戦で10カウントゴング中に橋本が健介に攻撃を加えたにもかかわらずカウントを続行したし…。ちなみに特技は六本木でのストリートファイトらしい。01年からは審判部長に。

[タイガーマスク] (漫画名)

梶原一騎と辻なおき原作のプロレス漫画。秘密組織「虎の穴」から脱走し、孤児院の子供達のためにリングに上がる主人公・伊達直人が、裏切り者の彼を倒すためにやってくる「虎の穴」の刺客とプロレスで戦うというストーリー。同タイトルのアニメ(1969〜1971放送)のオープニングテーマでは「白いマットのジャングルに」とあるが実際のタイガーマスクがデビューした新日本はセルリアンブルーのマットだったり、「ルール無用の悪党に正義のパンチをブチかませ」とあるが「プロレスではパンチは反則なので正義の味方が反則を犯して良いのか」という突っ込みもあったりなかったりする。

[タイガーマスク(初代)] (人名・引退済み/1957年11月27日山口県/173cm/96kg)

故・梶原一騎原作の漫画から飛び出したヒーロー。初代は佐山聡が抜擢され、その今までに無いムエタイ式のキック、度肝を抜く空中殺法と華麗な戦い振りで一大ムーブメントを巻き起こした。81年からたった2年間しかリングに上がっていないが多くの人間の目にその姿は焼き付いている。ローリングソバットとタイガースープレックスが代名詞。

[タイガーマスク(2代目)] (人名・引退済み/1962年6月18日埼玉県/185cm/108kg)

初代は新日本でデビューしたが、2代目は全日本プロレスだった。その正体はのちのNOAH社長・三沢光晴。 だが、初代の壁を超えることはできずJrヘビー級にも限界を感じた三沢はマスクを脱いでヘビーへ転向する。

[タイガーマスク(3代目)] (人名・引退済み/1966年10月31日兵庫県/180cm/95kg)

3代目は当時新日本の新人レスラーだった金本浩二がマスクをかぶった。しかし新人に初代を超えるファイトができるはずも無く散々な結果に。 結局残ったのは負けるタイガーマスクのイメージと金本の「トラ」ウマだけだったという大失敗作。(爆)

[タイガーマスク(4代目)] (人名・新日本/1970年10月20日不明/176cm/86kg)

4代目は初代の指導を受けみちのくプロレスでデビュー。佐山いわく今までのタイガーの中で最も素質があるらしい。 あながちその話は嘘ではなかったようで着実に成長してみちのくのエースに。2002年には新日本に移籍し、その後IWGPジュニアベルトを腰に巻いた。

[第3世代]

中西、永田、天山、小島を指して言う言葉。パワーの中西、試合運びの永田、パワー&テクの天山、お笑いの小島とは武藤の談。(笑)

[ダイナマイトキッド] (人名・引退済み/1958年12月5日イギリス/180cm/105kg)

本名トム・ビリントン。鍛え上げられた肉体と豪快なファイトで活躍した選手。タイガーマスクと名勝負を繰り広げ、Jrの認知度を上げた功績は大きい。

[大日本プロレス] (団体名)

過激なデスマッチをうりとするインディー団体。

[ダイビング〜] (技名)

トップロープに昇ってそこから飛び降りながら攻撃する技の前に付けて呼ばれる。ダイビングラリアット、ダイビングボディプレスなど。

[ダイビングニードロップ] (技名)

トップロープからジャンプしてダウンしている相手の上に片方の膝を突き立てる技。猪木や藤波がよく使っていたが西村が使うようになった。中邑が相手の喉元を狙ってやるものは「羅骭下(らかんか)」と呼ばれている。

[ダイビングヘッドバット] (技名)

トップロープからジャンプしてダウンしている相手に頭突きを食らわせる技。元祖はハーリー・レイスだが、インパクトではやはりダイナマイト・キッドが有名。現在の使い手No.1はキッドのフォームをマスターしたクリス・ベノイ。選手によってかなり成功率の変わる技であり、ベノイや天山はほぼ100%決まるが、エル・サムライやライガーのものがよけられまくるのはもはや新喜劇の世界である。

[ダイヤモンドカッター] (技名)

相手のあごを自分の背中越しに肩に乗せ、背中から倒れこむことであごにダメージを与える技。 ちなみに浜田が使えば「浜ちゃんカッター」、小島が使えば「コジコジカッター」と名称が変わってしまう技であるが、 垣原の使う「カッキーカッター」はSTOの事なのでお間違えの無いように。

[太陽ケア] (人名・全日本/1975年11月18日アメリカ/185cm/106kg)

ハワイ滞在中の馬場に直訴して入門を認められた全日本の期待の外国人選手。後藤を必殺技のハワイアンクラッシャーで瞬殺するあたり、実力は確かだろう。以前は本名のマウナケア・モスマンをリングネームにしていた。改名は成功か失敗か…?(笑)2001・2・18両国国技館では武藤のセコンドとして現れ、BATTに入る。

[田上明] (人名・NOAH/1961年5月8日埼玉県/192cm/120kg)

全日本四天王の一角だったが、どう見ても秋山のほうが強かった(笑)。ジャンボ鶴田2世と言われつつも、皮を破れないでいる。田上火山はいつになったら噴火するんですか。(w)NOAH設立と同時にに移籍。

[高岩竜人] (人名・ZERO-ONE/1972年7月5日京都府/178cm/98kg)

新日本Jrで最もパワーのある選手で現在はZERO-ONEに移籍。何回も叩きつける餅つきパワーボム等破壊力抜群の技を使うが、いかんせんレスラーとしての資質に問題があり馳に「俺が入団テストの試験官をやっていたら絶対に合格させなかった。」とまで言われる始末(そのときの試験官は飯塚だった)。そしてとうとう04年10月17日の星川とのタイトルマッチで4メートルの金網からのパワーボムを敢行。急性硬膜下血腫による意識不明の重体に追いこんでしまった。相手がレスラーでもやっちゃいけない線をちゃんと区別しようよ…。orz

[高田道場] (団体名)

高田延彦主宰の団体。しかし、高田の不遇さに高田同情にしか筆者には見えない。(苦笑)

[高田延彦] (人名・引退済み/1962年4月12日神奈川県/183cm/95kg)

プロレス界でも1,2を争うヘタレ。UWF時代にUWF最強を掲げておきながら武藤敬司に敗北、グレイシー一族と3回試合して3回とも完敗。挙句に同じ道場所属の桜庭に先を越される。デカビタパワーは効かなかったのか?!プロレスラーとしてなら大成しただろうに・・・。(苦笑)その後は桜庭人気を利用して「藤田がやられたんだからミルコとやらせろ」とか「猪木軍 VS K-1をPRIDEでやるなら桜庭を出場させないぞ」などと言いたい放題。(汗)で、その「高田VSミルコ」の結果は…タックルが通用しないと思ったら逃げの一手で引き分け狙いかよ!(;´Д`)その後引退する機会をうかがっていたがとうとうPRIDE23の田村潔司戦で引退試合を行った。現役を退いてからはハッスルでモンスター軍総統と名乗って抗争を繰り広げており、ショー的なプロレスを嫌っていた人間が一番プロレスやってると言う有様。(汗)…いや、これは自分の適正にやっと気付いたと言うべきか。(w

[TAKAみちのく] (人名・K-DOJO/1973年10月26日岩手県/178cm/88kg)

本名吉田貴男。元みちのく所属だったがWWFに移籍し活躍。イチローとイメージが被るのだが。顔も似てるし。高度な空中殺法の使い手で長州に宇宙人呼ばわりされる。自主興行を行うためにWWFを離脱してK-DOJOを設立。 ちなみにホームページ持ってます。

[高山善廣] (人名・フリー/1966年9月19日東京都/196cm/125kg)

キングダムでは安生の舎弟だったが、全日本に乱入後NOAHに移籍。大森とノーフィアーを結成してブレイク。ちなみにレスラー転職前は会社員とライフセーバーをやっていた。実はネイティブアメリカンのクォーターだったりする。 格闘技路線にも挑戦するためフリーになり、PRIDEに参戦して藤田やフライと名勝負を繰り広げた。また、02年8月のG1にも参戦しいきなり準優勝、その直後9月にGHC王座戴冠。03年には1月4日にNWF王者、5月にIWGP王者となり二冠王として03年プロレス大賞でMVPに選ばれる。04年2月にはIWGPタッグ王座も獲得。まさに現在のプロレス界の帝王と呼ぶにふさわしい男である。しかし、キャリアが上がる毎に顔と腹が崩れてきているのはなんとかなりませんか。(w)04年にG1の健介戦後に脳梗塞で倒れたが療養中にコミック雑誌「ドラゴンエイジ4月号」の表紙をメイド姿のコスプレで飾ったり漫画「魁!クロマティ高校」の実写映画で竹之内役を演じたりとリングの外でも色々やっている。

[たけしプロレス軍団](団体名)

ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」の企画で作ろうとしていたプロレス団体。しかし企画自体いいかげんなものでまともな道場もなく、新日本への乱入の件もあり団体設立までに自然消滅した。ただ後のスペル・デルフィン、邪道、外道が練習生にいた事は評価できるだろう。

[たけしプロレス軍団乱入事件](事件名)

1987年12月27日の新日本両国国技館大会でたけしプロレス軍団が乱入し、試合スケジュールを変更させて助っ人のビッグバンベイダーと猪木を無理矢理戦わせた事件。猪木とのタイトルマッチがおしゃかになった長州力が猪木に半泣きでぶち切れるわ(猪木VS長州戦自体は行われており、猪木VSベイダーはこの後行われた)、猪木VS長州は馳の乱入により長州の反則負けと言うぐだぐだ決着に終わるわ、猪木はベイダーの挑戦を受けたのが良いが3分弱で瞬殺されるわで、客席からは座布団やら紙コップやらが雨あられの様に投げ込まれ椅子や扉も壊されて新日本がしばらく両国国技館を使えなくなった。

[タジリ] (人名・WWE/1970年9月29日熊本県/175cm/93kg)

本名、田尻義博。元は大日本プロレス所属だったがECWで活躍した後WWF(当時)に移籍。普段はコミッショナーのリーガルのお茶汲みをやっていて異常に腰が低い。ところが試合になると素早い動きと多彩な技で相手を翻弄する豹変振りに人気が集まっている。 でも、彼がアメリカ人が持つ日本人のイメージをまた偏った方向に持っていっているのは間違い無いだろう…。(笑)

[タップ]

選手がギブアップする際に声を出しにくい技があるため、相手の体を軽く何回か叩く事でギブアップの意思表示をする事。

[田中将斗] (人名・ZERO-ONE/1973年2月28日和歌山県/183cm/108kg)

元FMW所属のレスラー。ECWの修行から帰ってきてパワーアップしてメインも張れる実力…なのだがZERO−ONEに参戦してからはかませ犬程度の扱いしか受けてません。(笑)

[田中稔] (人名・新日本/1972年11月29日愛知県/175cm/88kg)

バトラーツ所属の蹴って極めて飛んでと何でもできる男。どっちかといえば金本よりもセクシー。金本とのコンビでタッグベルトを取ったときに金本にキスをされ、ホモ疑惑が浮かぶが、本人いわく「巨乳が一番。」(笑) IWGPJrのベルトを手にし二冠を達成したのを機に、バトラーツから新日に移籍。タッグパートナーの金本にふられたらと思ったらしっかりレスラーの府川由美と婚約しておりました。(笑)

[田中秀和] (人名・新日本/1959年1月6日愛知県)

新日本のリングアナウンサー。新日本暴露本は非常に面白い。

[棚橋弘至] (人名・新日本/1976年11月13日岐阜県/181cm/103kg)

99年10月にデビューした新人。02年11月に付き合っていたタレントの原仁美に別れ話のもつれからナイフで刺される事件が放映された事で有名に。(爆) しかも復帰したらしたで期待のルーキーの座は中邑に奪われてしまっていた。(汗 復帰後はドラゴンスリーパー、ドラゴンスクリュー、ドラゴンスープレックスなどの飛龍殺法を駆使して活躍中。 03年にはU-30ベルトを提唱、リーグ戦を制して自ら初代王者になった。

[谷川貞治] (人名)

雑誌「格闘技通信」の元編集長で、脱税容疑で起訴された石井館長の代わりに03年1月にK-1のイベントプロデューサーに。編集長だった頃はそれなりに評価されていたが、主催側に回ってからご乱心。マッチメイクは話題性のみ、解説は解説の意味をなさず、ひいきの選手の試合では一方的に殴られてるのに「根性ありますね!」、ぼろ糞に負けても「良い試合でした!」。もう見てらんない。挙句03年大晦日のサップVS曙が高視聴率を記録したのに味を占めて必死に二人をプッシュするもサップは藤田にボコボコにやられ、曙は4連敗でファンに見放されて四面楚歌状態に。

[タバスコ]

現在すっかりメジャーになったソースの一種であるが、初めて日本に持ち込んだのは猪木。タバスコ大好きな人は猪木に感謝しましょう。 ちなみに筆者がファンである声優飯塚雅弓さんはマイタバスコを持ち歩くくらい好きらしい。

[WCW] (団体名)

アメリカ2代メジャー団体のひとつ。しかしWWFに押され、新日本に歩み寄りをかけていたが結局WWFに買収される。

[WMF] (団体名)

正式名称「WRESTLING MARVELOUS FUTURE」。倒産してしまったFMWの後を継いでハヤブサとミスター雁之助が立ち上げた団体。 ただしハヤブサは現在リハビリ中で試合には出ていない。

[WWE] (団体名)

正式名称「ワールド・レスリング・エンターテインメント(World Wrestling Entertainment)」。WWFが世界自然保護基金(World Wildlife Fund)から民事裁判でWWFの名称とロゴの使用禁止を訴えられて名称変更したもの。2002年5月7日から正式採用されている。

[WWF] (団体名)

アメリカ2代メジャー団体のひとつ…って上と説明同じかよ!(滅殺)WCWを買収した事によりアメリカ最大のメジャー団体に。 しかし、共同オーナーであるビンスとフレアーの覇権をめぐる抗争激化により「ロウ」組と「スマックダウン」組の 二部リーグ制に別れてしまった。

[WWF対WCW&ECW対抗戦] (事件名)

WWFオーナーのビンス・マクマホンがWCWを買収に成功した後、、WCWのメンバーがWCW復活を賭けてWWFのメンバーと行った一連の試合。やはりWWFの試合だけあって普通に進むわけも無く、策略と裏切り行為が続出し、あげくのはてにはコミッショナーのリーガルまでもがECWに寝返るというありさま。結局はWWF軍が勝利して事無きを得た。

[WJ] (団体名)

長州力が永島勝司とともに03年3月に立ち上げた団体。天龍源一郎、大森隆男、越中詩郎といった選手が集まり、佐々木健介にいたっては新日本を離脱してまで参加。しかし月を追う毎にどんどん観客数が減り、それに伴い選手も次々と離脱してしまい1年持たなかった。(爆)長州、もうこれ以上ネタを提きょ、もとい生き恥を晒さないで下さい…。

[田村潔司] (人名・U-FILE/1969年12月17日/180cm/87.5kg)

元リングスの選手。前田を破ってリングスのエースになりあがり、前田引退後は団体を牽引してきた。95年にはK-1のリングでパトリック・スミスにヒールホールドでギブアップ勝ち、2000年には判定勝ちながらも桜庭和志より半年先にヘンゾ・グレイシーを破っている。2001年にリングスを電撃退団し、PRIDEのリングに新たな闘いを求めた。

[タランチュラ] (技名)

WWEのタジリの得意技。ロープを利用して相手の体をロープに張り付けにして締め上げる技。

[断崖式] (技名)

エプロンサイドから場外に相手を投げ捨てた場合技の前に付く。断崖式ブレーンバスター、断崖式パワーボムなど。奈落式とも言う。

[ダンプ山本] (人名・めちゃイケ女子プロレス/1968年2月23日広島県/168cm/92kg)

TV番組「めちゃイケ」のコーナー「めちゃイケ女子プロレス」で相棒のブル加藤と極楽同盟を結成し女子プロレスラーと「男と女のガチンコ勝負」を繰り広げているレスラー(?)。得意技は体重を生かしたギロチンドロップと竹刀攻撃。モチーフはもちろんダンプ松本で、当時ダンプのライバルだったライオネス飛鳥をして「似すぎててむかつく」と言わしめた。(笑)

[地球がだめになる] (台詞)

03年6月の対安田戦の直前に星野総裁に向かって西村は「あんた無我に入ったらどうですか?」と発言。試合後のインタビューで星野総裁を改心させる事を決意、「そうでないと地球が駄目になる」と発言したのが元。

[チキンウイングアームロック] (技名)

ここ最近の流行技。以前は痛め技として使われていたが、桜庭がグレイシーを破ってからフィニッシュホールドとして良く使われ始めた。 ちなみにエリオ・グレイシーが若い頃に柔術家の木村政彦に敗れた技でもある。

[チキンウイングフェイスロック] (技名)

背後から相手の片手を絡めとり、同時に顔面を締めつける技。UWFの全盛期に良く使われたためか、UWFの流れを組む選手に使い手が多い。

[チキンヤローノブヒコ] (人名)

PRIDE17で高田延彦と対決したミルコ。しかし高田が全く攻めてこないまま判定ドローに持ちこまれて試合後に吐き捨てた台詞。ミルコさん、稀代の高速タッパ−延彦を舐めてはいけませんよ。(微笑) しかもこの台詞は高田擁護派のサンケイ新聞では黙殺されておりました。(爆)

[秩父セメント] (技名)

田上がGHC挑戦の際に秘密兵器として開発した技。相手をブレーンバスターの要領で持ち上げた後に相手の喉元を掴み、そこから垂直に叩きつける技。名前の由来は田上の出身地が埼玉県だから。

[ちびタイガー] (人名・めちゃ日本女子プロレス/生年月日不明/156cm/48kg)

TV番組「めちゃイケ」のコーナー「めちゃイケ女子プロレス」の試合終了後に乱入してくる謎のレスラー。(笑) 運動神経だけは初代タイガーを思わせるものがあるのだがいかんせん弱いため、「乱入→相手レスラーにやられる→服を脱がされて全裸→なぜかリング上でブレイクダンス」の流れがお約束。ところがその股間だけはちびではなくジャイアントなのである。(笑)…ちなみに毛は剃ってるんですか?

[チャイナ] (人名・フリー/1969年12月27日アメリカ/175cm/95kg)

元WWF所属。女性レスラーなのだがウーマンズスタイル(WWFの女性部門)には参加せず、当たり前のような顔をして男性レスラーと 戦っていたツワモノ。(笑)

[チャイナナイト光浦] (人名・めちゃ日本女子プロレス/1971年5月20日愛知県/158cm/?kg)

TV番組「めちゃイケ」のコーナー「めちゃイケ女子プロレス」での光浦靖子のリングネーム。キューセー大島と「フレッシュ・ギャルズ(笑)」(←タッグ名カッコ内含む・笑)を組んで売り出し中のグラビアギャルの前に立ちはだかる。 お笑い番組のコーナーだからといって彼女を侮ってはいけない。意外にも本格的なレスリングを披露し、筆者が今一番芸能人からプロレスラーに転向して欲しい一人なのである。(笑)

[チョーク] (技名)

授業の前に折って先生に嫌がらせ…わけではなく、相手の首をしめること。本来プロレスの世界では反則。喉仏を圧迫するかどうかで反則か否か分かれる。頚動脈だけを閉めるのは普通のスリーパーホールド。

[チョークスラム] (技名)

相手の喉元を片手でつかんで持ち上げ強引にマットに叩きつける技。アンダーテイカーやケインなどアメリカのレスラーに使い手が多い。日本名は喉輪落とし。

[超人]

ハルク・ホーガンの異名。

→ハルク・ホーガン

[長州力] (人名・WJ/1951年12月3日山口県/184cm/115kg)

元祖・革命戦士。ラリアット、サソリ固め、バックドロップだけで10年以上プロレス界のトップに立ちつづけた凄い人。98年1月4日で引退するも、2000年7月30日の大仁田戦で復帰。プロレスラーの引退がこの世で一番信用ならないものだと言うことを証明した。その後も、小川直也の挑戦に対し「お前の望む事やってやるよ!」と息巻くも何故かタッグマッチだったりと奇行が目立ったが、とうとう退団。新団体WJを設立するもいきなり怪我で欠場。試合に戻ってもかつての精彩は見られず橋本にまで馬鹿にされる始末。観客もどんどん減り1年間持たずに興行が立ち行かなくなった。(爆)

[長州力襲撃事件] (事件名)

1984年2月3日、札幌で藤波辰巳(当時)と長州のWWFインターヘビー級選手権試合が行われる予定だったが、長州が入場中に花道で藤原喜明に襲撃され流血、試合が不可能とみなされて無効試合になった事件。この事件から藤原喜明が「テロリスト」と呼ばれるようになる。

[蝶野正洋] (人名・新日本/1963年9月17日東京都/188cm/108kg)

ご存知T-2000総帥。94年のG1優勝を機に武闘派に転向してからはヒールのイメージが強いが実はクラシカルなレスリングスタイル。しかもかなりの良い人。不意のインタビューに「はい」と返事したり、ムタ戦では途端にベビーフェイスに戻ったりする辺りにその片鱗が。三鷹のお婆ちゃんも「マサヒロちゃん、頑張って☆」とテレビで前で大感激であろう。そんな彼の奥さんはドイツ人。そのせいか、彼はトロの味がわかりません。(笑)武藤移籍事件を機に現場監督に就任していたが04年2月で現場監督を辞めると魔界倶楽部と結託、再びヒールに戻ってやりたい放題。(w

[ツームストーンパイルドライバー] (技名)

変形のパイルドライバーで正面から相手の腰を抱え込んで逆さまに持ち上げ膝をつきながら相手を頭から落とす。 技を食らった相手が墓石のように見えることからこの名がついた。 日本では初代タイガーマスクが使ってからジュニアが多く使用する。 アメリカではアンダーテイカーが必殺技として使っていた。 しかし、アメリカやメキシコではパイルドライバー系の技は禁止になったので最近は見られない。

[辻よしなり] (人名・フリー/1961年3月29日埼玉県/172cm/72kg)

テレビ朝日が誇るインチキアナウンサー。解説のマサ斉藤との確執は日に日に深まるばかりで、「辻、テキトーな実況」→「マサさん、憮然とつっこむ」→「辻、押し黙る」の連携は、もはや「ドラゴンスクリュー → 四の字固め」並みの説得力。蝶野や中西と言ったレスラーと確執を持つのも得意ないじめられキャラである。 フリーになってからは新日本の解説に登場する回数が減った。フリーになる時期、間違えちゃったね…。(笑)

[T-2000マシン] (人名・新日本/生年月日不明/?cm/?kg)

蝶野が2000年10月9日の全日本との対抗戦に連れてきた黒いスーパーストロングマシン。しかし、バックドロップのフォームが何処かで見たことあるフォームだな…。ちなみに、そのときセコンドに小島、天山、後藤がいませんでしたとさ。 その後のG1タッグリーグ戦では2号まで現れた。……G藤とO原?

[TEAM-2000]

nWoジャパンを引き継ぐ形で蝶野を総帥として天山、小島、ヒロ斎藤、AKIRA、後藤、小原、フライ、スーパーJで構成された反体制のメンバー。しかし、フライは美味しい所をもらえなかったことに不満で脱退。(笑)その後小島の全日本移籍などでメンバーが減り自然消滅した。

[低空ドロップキック] (技名)

高くジャンプせず相手の膝をめがけてドロップキックを出す技。武藤が一時期「低空ドロップキック→ドラゴンスクリュー→四の字固め」を必殺コンビネーションとして使っていた。

[DDT] (技名)

ジェイク・ロバーツという選手が開発した技で、相手の首を正面から脇に抱え込んで後ろに倒れて首にダメージを与える技。 日本では天龍が使い始め、橋本真也やエル・サムライの得意技として有名になった。

[デスバレーボム] (技名)

相手を両肩に担ぎ上げ、横向きに倒れこんで後頭部から落とす技。高岩の得意技。

[デスマッチ]

普通の試合のほかに危険な要素を加えた試合のことを言う。ロープに電流を流したり、場外に釘を敷き詰めたりするのがその一例。日本では大仁田厚がFMWでやっていたが最近は大日本プロレスで行われている。純プロレス好きの人間からすれば正当派プロレスではないために邪道と呼ばれ異端扱いされている。

[鉄人]

伝説のレスラー、ルー・テーズの異名。衣笠ではない。

→ルー・テーズ

[DEADMAN]

アンダーテイカーが怪奇派レスラーとして戦っているときのあだ名。

[テリー・ゴディ] (人名・引退済み/1961年4月23日アメリカ/195cm/135kg)

13歳という若さでデビュー。83年に全日本に初参戦後常連外国人になり「殺人医師」ことスティーブ・ウイリアムスとの殺人魚雷コンビで活躍し、全日本、NWA、WCWでぞれぞれタッグ王座を獲得した。タッグだけでなくシングルプレイヤーとしても三冠ベルトを獲得したが93年ごろから心臓病を患い、01年に心不全で急死した。ルー・テーズの考案したパワーボムを現在の形に完成させたのはこの人。

[テリー・ファンク] (人名・WCW/1944年6月30日アメリカ/188cm/110kg)

ファンク兄弟の弟。いいからいいから〜テリーを信じて〜♪(w) 日本では全日本プロレスで兄とのタッグで活躍していた。一度は引退したが、復帰後はなにを思ったかハードコア路線に移行し、50歳を過ぎてからムーンサルトプレスまで使い始めた。

[天山広吉] (人名・新日本/1971年3月23日京都府/183cm/123kg)

小島の元ライバル且つ相棒で、顔のでかさは日本一。以前武藤とムーンサルト封印マッチをやって敗れるも、「俺のは天山プレスだ!」と言い張って使い続けている。彼の急所ヘッドバットの後の髪の毛かきあげはセクシー。(笑)03年11月に7度目の正直でようやくIWGPベルトを手にするが1ヶ月で新人の中邑に奪われる。それでもめげずに04年2月のIWGP王者決定トーナメントで執念の優勝をとげるがまたしても1ヶ月で健介にベルトを奪われた。(爆)負けちゃいけないところでいつも負けるよね君は…。(´Д`;) それにもくじけず05年の2月20日、小島聡とのIWGP・三冠60分1本勝負ダブルタイトルマッチに挑んだがなれない長丁場で脱水症状を起こし、引き分け11秒前で10カウントを数えられてベルトを他団体に流出させる大失態を演じてしまった。

[天龍源一郎] (人名・フリー/1950年2月2日福井県/189cm/120kg)

プロレス界の頑固親父で相手の力を引き出すのが上手い。逆水平だけで客を沸かせられるのはこの男くらいであろう。日本人初の全日本、新日本のベルトをともに経験したレスラーで猪木、馬場の両者からピンフォールを奪った唯一の日本人でもある。元は幕内力士だったが76年にプロレス入り。全日本、SWS、WARと主戦場を移してフリーになった後全日本に出戻ったがWJに移籍、その後再びフリーに。ちなみに彼の使う垂直落下式ブレーンバスターは「53歳」と呼ばれている。 本名嶋田源一郎。

[闘魂三銃士]

猪木の後を継ぐ者達として武藤、橋本、蝶野をさして言う言葉。別名、ハゲ、デブ、ヤクザ。(汗)武藤は全日本社長、橋本はZERO-ONE社長、蝶野は新日本の現場責任者になったが、蝶野は一レスラーに戻り、橋本に至ってはZERO-ONEを追い出された(汗。

[闘魂烈伝] (ゲーム名)

20世紀のプロレスゲーム二大巨頭の片割れその1。三すくみ制度をとりいれて初心者でもある程度操作できるお手軽さとポリゴンによる気持ち悪いほど似ているレスラーの顔(笑)が売り。しかし某会社に版権を取られたのか4以降は作成されていない。早いところ続編出してくれー!(汗)

[闘龍門] (団体名)

ウルティモ・ドラゴンが若手ルチャドール育成のために作った団体で本拠地が神戸にある。クレイジーMAX、DO-FIXER等のチームがしのぎを削っている。初心者でもわかりやすい派手な飛び技、イケ面レスラーの多さから他団体に比べて女性ファンが多いことで有名。04年7月7日をもってDRAGON GATEに改名した。

[毒霧] (技名)

グレートカブキ、グレートムタ等の怪奇派レスラーが得意とする技で、謎の液体を口に含んでそれを吹きかける目潰し攻撃。試合中に何回も吹いたり、色を使い分けたりと、プロレス界の謎でもある。アメリカではグリーンミストと呼ばれている。

[ドクトルワグナーJr] (人名・EMLL/1965年8月12日メキシコ/179cm/102kg)

新日本によく参戦している外人レスラー。確かなルチャテクニックと明るいキャラクターで人気。ただ、みちのくドライバー2を出す時の腰振りアピールはなんのためだ。(笑)ちなみに弟もシルバーキングとしてレスラーをやっている。

[ドスカラス] (人名・LLL/1951年2月20日メキシコ/178cm/96kg)

マスカラスの実弟。兄に負けない名ルチャドール。

[ドスカラスJr] (人名・AAA/1977年5月25日メキシコ/197cm/100kg)

ドスカラスの息子。息子もルチャドールなのだがなんと総合格闘技のリングに登場。(笑) しかもマスクをつけて試合に臨むという今までにないスタイル。 ところが01年8月18日に行われたDEEP2001で謙吾の腕をへし折って勝利。

[トペ・スイシーダ] (技名)

藤波がJr時代に日本に持ちこんだ技で、走ってトップロープとセカンドロープの間を潜り抜け頭から場外の相手に突っ込む技。意味はスペイン語で「頭からの入水自殺」。 バリエーションとしてトップロープを飛び越えながら前方回転して背中から体当たりする「トペ・コンヒーロ」もある。

[トライアングルランサー] (技名)

井上亘の得意技。相手の腕を取って飛びついて回転、相手の頭を巻き込んで極める技。複雑なんでビデオでスロー再生するまでわかりませんでした。(笑)2001年のG1ジュニアタッグリーグではこの技でライガーから大金星をおさめている。

[ドラゴン]

新日本の藤波社長の愛称。

→藤波辰爾

[ドラゴンキッド] (人名・DRAGON GATE/1976年2月2日愛知県/162cm/70kg)

ウルティモドラゴンの愛弟子でDRAGON GATEの一期生。師匠がドラゴンの名を与えるあたり彼の空中殺法のレベルを証明している。はっきり言って人間じゃないです。(笑) 同期に結果では一歩遅れを取っていたが、04年のエル・ヌメロ・ウノで念願の初優勝を果たした。

[DRAGON GATE] (団体名)

ウルティモ・ドラゴンが若手ルチャドール育成のために作った団体で本拠地が神戸にある。クレイジーマックス、DO-FIXER等のチームがしのぎを削っている。初心者でもわかりやすい派手な飛び技、イケ面レスラーの多さから他団体に比べて女性ファンが多いことで有名。設立当時は闘龍門と言う名前だった。

[ドラゴンスープレックス] (技名)

背後から相手をフルネルソン(羽交い締め)にきめてブリッジを描きつつ後方へ投げる技。藤波辰爾が開発したが、本人は無理して腰を悪くしたため(笑)他の選手が使い出した。その後棚橋が正当な後継者になった様である。フルネルソンスープレックスと呼ばれることもある。

[ドラゴンスクリュー] (技名)

藤波辰爾が開発した技で、相手の足を取って自分の体を回転させ、捻るようにして投げ飛ばす。相手の膝にかなりの負担がかかるので危険な技である。 実は技をかける側も注意しないと相手の膝が自分に当たってしまう。実際に大谷が技をかけたときに相手の膝が目に当たって眼窩底骨折になっている。 開発当初は注目されていなかったが、武藤が高田との試合で高田の膝を破壊してからブレイクした。プロレスごっこの禁止技。(笑)

[ドラゴンストップ] (技名)

藤波が社長になって身につけた最強の必殺技。試合に突如乱入し、「両者レフェリーストップ」の裁定を下す荒業。2001年1月4日東京ドームの「橋本VS長州」の試合で見せたのが始まり。あんたが橋本とやったときのほうが死にそうになってたぞ!(笑)この裁定にもちろん観客は大ブーイング。すると社長は「われわれは殺し合いをしているんじゃないんだ!」と逆ギレ。ドラゴン殺法の奥の深さを思い知らされることとなった。(爆)

[ドラゴンスリーパー] (技名)

腰の負傷で長期欠場した藤波が復帰後に開発した技。普通のスリーパーとは違い、首をねじ切る感じのスリーパー。

[ドラゴンバックブリーカー] (技名)

バックドロップの様に相手を持ち上げ、後ろに落とさず前に落として相手の腰を自分の膝に打ちつける技。藤波辰爾が一時期よく使っていたのでこの名前が有名だが、元祖はビル・ロビンソンでワンハンドバックブリーカーと言う。なお、昔コミックボンボンで連載されていた漫画「餓狼伝説」でホア・ジャイが使っていた技とは関係無い…はず。

[ドラゴンラナ] (技名)

ドラゴンキッドがここぞと言うときに出す大技。コーナーポストに昇り、ふらついている相手めがけて前方回転しながら飛びついて相手の顔を太ももで挟み込み、そこからウラカンラナに持ち込む超高等技術。

[ドラゴンロケット] (技名)

なんの事は無い普通のトペ・スイシーダだが、藤波が海外遠征の手土産に使い出したため、藤波が使ったときだけこう呼ばれるようになった。現在では藤波の弟子棚橋が使ったときもこう呼ばれる。

[ドリー・ファンクJr] (人名・引退済み/1942年2月19日アメリカ/1942年2月19日/190cm/115kg)

ファンク兄弟の兄。お兄ちゃん生きてる心地がしないよぉ〜ぅ!(笑)でも本物は猪木、馬場の二人に勝つなど名レスラーです、念のため。

[トリプルH] (人名・WWE/1969年7月21日アメリカ/193cm/112kg)

ここ数年のWWFで最も抗争に絡んできたレスラー。元は地味なレスラーだったがオーナーの娘ステファニーを拉致して無理やり結婚してからはトップクラスとの抗争を繰り広げ、ヒールであるにもかかわらず人気は高い。 トリプルHは「ハンター・ハースト・ヘルムスリー」の略から。

[ドロップキック] (技名)

飛び上がって両足で相手の胸板を蹴る技。プロレスの基本技であるが美しく蹴るのは難しい。蹴った後に背中で着地するもの、お腹で着地するもの、蹴った反動で一回転するものなどバリエーションは多い。現在の名手はAKIRA、西村。本来ダメージはそれほど大きくない技なのだが、ボブ・サップのドロップキックを食らった中西は場外まで吹き飛ばされ、20カウント後も立ち上がることが出来なかった。恐るべし野獣パワー。

[首領(ドン)]

→蝶野正洋

[ドン・フジイ] (人名・DRAGON GATE/1970年7月6日大阪府/175cm/105kg)

本名藤井達樹でクレイジーMAXのお笑い担当。(笑)中でも斎藤了の自転車をパクったことから始まった自転車争奪戦は闘龍門を多いに沸かせ、その果てに生まれた友情から自転車兄弟というタッグまで生まれた。(笑)実は自転車兄弟の勝率は意外に高い。

[ドン・フライ] (人名・フリー/1965年11月23日アメリカ/185cm/110kg)

レスリング、サンボ、ボクシングなどの経験を持つアルティメット黎明期に活躍した選手。新日本に乱入した当時にそのナックルパンチは猛威を振るうが、小川とは対照的にプロレスを覚えて弱くなった。(笑)とおもったらまだまだ殺人パンチは衰えてはいないようでPRIDE(16)初参戦で反則勝ちながらもギルバート・アイブルに勝利。猪木祭り2001ではシリル・アビディにも勝利。高山戦では真っ向から殴り合うなど常に熱い戦いを見せてくれる姿にファンは多い。04年にはPRIDEからK-1に戦いの場を移した。

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